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日芸ブログ。すでに卒業したので、終わり。誤字脱字ばかりのブログだしね。
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孫入り、か!
昨日、自宅でそうめんパーティを開きました。

そして、思い出したこと。

今、住んでいるワンルーム・マンションの引っ越しパーティが思い起こせば、「そうめんパーティ」だったよね。招かれた友人らは、口を揃えて「祝い事でそうめんか? もっと豪華に祝えよ!」と、ブーブー。しかも、6畳もない1Kに10人ぐらい招いたもんだから、狭い! 狭い!と追加でブーブー。確かに今の家は狭い。そして、半地下だから光もあまり入らず、携帯の電波は全く入らず、なのだ。不便過ぎるのだ、ほんと。

しかし、そんな家ともおさらばします。来月、引っ越しです。引っ越し先は、目黒。なんと、勤め先の女社長の旦那さんの、お母さんが日本家屋にひとり暮らし中。しかもだ、腰が悪いために2階は全く使用していないとか。ならば、と居酒屋で社長に一押し、二押し。すると、「家賃3万ぐらいで住めるんじゃないの〜」と社長のひと声。その場で舞い上がる僕を、仕事相手のプロデューサーが引いた目で見つめて、「オレだったら、上司の旦那の母親と同棲、絶対に嫌だな」、と。まあ、確かに社長の旦那さんのお母さん(未亡人)と2人で暮らす。仲良くなっちゃって、日曜日の夜には2人でNHK大河ドラマで盛り上がり、“戦国時代の城が燃えるシーン”なんかで同時に恋も燃え上がっちゃったり。年齢差なんて関係ないさ。あわよくば、僕がその80歳のお母さんと結婚して、46歳の社長が僕の娘になる、なんてわけだよ。イエイ、すご過ぎるぜ。「ヤベえよ、引っ越したら、すぐに籍だけでも入れた方がいい!」と煽る同僚はさておき、なんなく引っ越し先を決めたわけですね。

そうと決まれば、今までキープしていた部屋たちはお払い箱さ〜、とばかりにコネクトしていた不動産屋とは一切連絡をとらず、「家賃3万の家ゲット〜」とばかりに浮かれていたのだ。

孫入り、飛び越えて婿入りも近し。とも思っていた矢先…世の中、そんなに甘くないっすね、という現在。本日、正式な、お断りが通達。理由は、あるようでなし。そもそも、飲み屋の笑い話でしかなかったのだから、ね。「いや〜無理だってよ、あれ? そんなに本気だったの?」的な、みたいな。という形でこの話はお開きです。

ドっすんだ〜〜〜! 僕。

誰か、一緒にシエアして暮らしませんか? (マジです、情報求む)



Good-bye TOKYO
「GOOD-BYB TOKYO」なんてタイトルを読んで、今までBLOGにて三ヶ月間の家なし生活を綴っていた「TOKYO NEW STYLE」なんてくだらない日記が完結するのかとお思いの方はご安心を。とっくに引っ越しを済ませ、2週間経ちました。強いて言うなら、この季節に冷蔵庫がないということだけ。。。

さて、誰が”東京”を去るかというと、親愛なるオレリアンとエミリーが近日帰国.
まずは、馴れ初めでも。オレリアンとはじめて会ったのは2年以上前の兄の写真展のレセプションパーティー。正装をした友人達が100人以上押し掛ける中、ジーンズ、Tシャツのフランス人。ここで、彼と面識のない人間は、すらっと足の長い、金髪のフランス人でも想像してるかもしれないけど、そんな"COOL"なイメージから、"OOL"ぐらいを抜いて、”C”とかにしてもらえると現実のオレリアンに出会うことができるかも。シャイで、ばかで、モテなかった、やさしかったけどね。手がでかくて、料理する際、包丁が小さく見えるためにビジュアルとして料理上手に見えるの(実際だまされていたお転婆娘たちもあり)。だけど、煮物を作る際に砂糖がないから”ハチミツ”を入れようとしたりするんだから、ほんと彼の料理は不味すぎた。

んで、エミリーに会ったのは去年の冬。急に親友件大先輩の彼女として紹介され、オレがくだらないことをしゃべってるとすぐに中指を立てるCUTE GAL。すっらと背が高く、美人なアメリカ人。オレリアンとは違い、面識のない人はこれでもか、ってくらいの美人を想像してもらえるとリアルなエミリーに追いつくかと。居酒屋でビンビールを頼む際、誰かが”5ビンぐらいかな〜”なんていうから、エミリーは5本と言わず、堂々と“5ビン下さい”と叫ぶ、みなが大笑いしてエミリーはまじ切れして。あの時は本当に可愛かったな。

と、そんな彼らのお別れ会が昨日多摩川の河川敷で開催。当初は天気が悪いから、BBQではなくてどこかのお店で、だったけど、木金と天気が良かったから”明日晴れるっぽくね〜じゃあ河川敷で”ってな具合。時間場所は当日携帯に連絡してくれれば〜っていうまるで秘密結社の会議並な告知で、多摩川ってすっごく長いんですけど、場所どこよ??。まあ当たり前に、全員集まるのはBBQ開始から5時間後。寂しさほど人を酔わすものはなく、酔っぱらって木に登り、花火し、焚き火し。

”もっとフランスでは面白い人間なのに、やっぱりまだまだ日本語は難しいし、ユーモアのある笑いが出ない”オメエ、実はお笑い芸人を目指してたのか、的なカミングアウトしたオレリアンの言葉を思い出すと(笑)、確かにそうだろうと思う。オレリアンもエミリーもそれなりに日本語を話すけど、細かい部分や繊細な感情はなかなか言葉として出て来ない。つっこみ、ボケ含め、自分の半分ぐらいしか出せていない彼が、ふと不満を口にした時。二人ともまた日本に戻ってくるからいいんだけど、もっと一緒にいたかったな。

前回、一度オレリアンが帰国した際、お別れするまで絶対泣かないというお互いの約束を果たした、みやとじゅじんが成田の「和幸」で泣き過ぎてとんかつをほとんど食えなかったという事件があったけど、このふたつの見送りではどんな事件が待っているのか。どうせそれがまた笑い話の種になるんだろうけど。やっぱり寂しいっすよ。

なにしろ、私的な日記でした!
TOKYO NEW STYLE vol.3
さてG.W.も今夜でピリオド、いまだ家なき生活は続行中です。10連休なんて人もいるようで8日まで休みの人が羨ましい限りです。これといってたいした遠出もできなかったわけですが、 ナイトクラビング も程々に実家でスローライフを満喫してきました。なんとも良い連休が過ごせましたとさ、めでたしめでたし。

TODAY、2005年5月5日「5」続きのゾロ目ということもあってか、自分にとって大切な人間が本日入籍しました。しかも2組も!!!みな考えることは一緒のようです。「5」続きでやばねぇ〜みたいな。で、うんうんうん、分かる。所で、久しぶりにBLOGを書いたはいいもののたいして書く意欲もなく、ネタもないわけです。家がないんだからさ〜、色々おもろネタあるんじゃないの??って言われても大げさに言えば「生活」するだけで精一杯なんですよ、意外にさ。刺激という名の水に触れるだけ、飲んで感想まで伝える余裕がなかなか生まれません。自分の空間、時間なんてものは透明バリアで随時作っていかないとどこにも存在しなければ、ポケ〜ッと暇を噛み締めることもなかなか出来ない状況。「余暇」が芸術を生んだ、って人は言うけど今の自分からは愚痴で丸めた団子ぐらいしか生まれません。みなさん、何も考えない時間を考えた上で素晴らしい想像をしていきましょう、とでも言っておきます。

そろそろ家がほしいので5月中に一人暮らしでもしようかと思っています。恒例の親メールでは「今しか出来ない風来坊生活あと少し楽しんでがんばってください」とのこと。ところで、この生活にもそろそろ「慣れ」の香りが漂ってきています。癖になる前にそろそろ終焉を迎えたいですね。つうか、またなんでもないこと書いて終わります!!!
TOKYO NEW STYLE vol.2
明日の東京は雨のようです。淡い桃色の屋根もすっかりじゅうたんと化すでしょう。都市色に染められてか、満開の桜も大忙しで地下鉄の階段を登っていきますよ。来春まで足早にお預けです。四季折々、感情折々。家無き生活もはや2週間が経とうとしています。リアルに家がほしくなってきました。いい物件、シェアリングスタイルを希望者の情報を求みます。「制約の中にこそ真の自由が存在する」毎日がこの言葉との葛藤です。

今夜は久しぶりにゆっくりテレビを見て、PCの前でも落ち着ける時間もあります。家がないとなかなかそうもいかない状況が少ないんですよね。ぽけっとしてても入ってくる強力メディアとの再会も果たしました。一方的なメディア受信を受け、胃もたれを恐れてかさっそくどこかに送信しています。街中の花粉のごとく、都市生活の至る所で情報快楽が蔓延。「これだけ花粉が飛んでたら、花粉症じゃなくても目が痒くなったり、鼻水出るよ」と、同じ症状がメディアにもある気がしますね。ブログやMIXI日記が流行る理由のひとつがいわゆるこの症状とでも言いましょうか。リアル快楽求めたいなら、足運んで自分で探せ!って試されてるのかのようですよ、ほんと。手軽快楽のTAKE FREEの状況だからこそ、なにより必死に遊ばないといけません。(あれ??言い切ったぞ俺)

と、ここで恒例の家亡き我が子へ母親が送るメール。「仕事はお金のためではなく自分の幸せのためにするもの。それには知恵が必要よ(絵文字バケ)」(俺はauだからdocomoの絵文字は見れないんだよ、とは絶対言わないぞ。ってか、お前は何を気取ってるんだ??とつっこみたいw。一応22歳、世間でいったら就職活動真っただ中。モロモロ事情もあり就活はしないけど、まあそれで父親とは軽くもめたけど、カッコ良すぎるな母親、とつくづく思います。状況が親戚にバレて軽く尻に火がついてきたようで、早くなんとかしないとな)

普段以上に私的な部分まで掘り下げたことへの抵抗と不安が、明日からの雨模様と変にシンクロして今夜は静寂を堪能できそうです。



TOKYO NEW STYLE vol.1
現在、最低限の荷物で東京を放浪中です。「オレそろそろ家に帰ろうかな〜」とか早く言いたいです。この生活は4月1日、新生活、新たなスタートにはもってこいの日から現在に至ります。実家に帰れよ、とお思いのあなた、家族の住む茨城からも通えるじゃんと、お思いの知人よ。「住まいが決まるまで引き続き皆のお世話になってなんとか頑張ってください!不自由でしょうが・」(一言一句参照)という母親からカッコ良すぎるメールを頂いておりますので、あしからず。

まあ確かにこの生活は疲れますが、なかなか興味深い経験をさせてもらってます。つらいとかじゃなくて、どうこの生活をエンタテイメントにできるか、というコンセプトで刹那刹那をかみ締めています。この東京バックパッカースタイルも実際、3月29日の夜からで、はじめの二日間は畳の上に、ドンキホーテで購入した980円の寝袋で寝てましたが、安物はやっぱり無理ですね。

どうやって今夜の寝床を確保するか、深夜終電を逃して遊んでいる場合はどうやって朝まで楽しむか、また一緒に遊んでる友達をどうタクシーに乗せないか、上げればキリがないですが、常に頭の片隅にはあります。だから、どうも物事をゆっくり考えられる場所がないです。カフェとかに1人で入ってもケースバイケース。落ち着ける場も以外にないですし。ただその分、普段なかなか会えない人や行かない場所に行く余裕??いや、逃げ??違うな、そこに頼れる弱さ、まあ良い意味でのね。頼れる所がある幸せ。人のつながりの強さを再確認はできますね。あとコンビニの情報量の多さとかにも再度、気がつけます、暇つぶしにもってこい。24時間年中無休のメディアですから。

という訳でこのブログは日記的なものになります。実際、同じような状況の人間はいっぱいいるでしょうし、たいしたことではないんですけどね。
鼻をほじって、鼻クソ食って教授になろう
幼少時代を抜け出して以降、「鼻をほじる」という行為がどれほど世間から軽蔑されてきたか、考えてもらいたい。すっごく二つの穴に鼻クソが詰まっているのにも関わらず、なかなか公共の場でほじることができない。なんていうのも過去の話だ。

マヌケな行為の象徴。下品の目印。爪が黒くなる第一人者。鼻血でるぞ100%などなど、日本では「鼻をほじる」という行為には多くのキャッチコピーが付けられてきたが、これはアメリカでも変わらないこと。しかし、その常識を覆すような研究結果がカリフォルニア州のサンディマス大学から発表された。in2003年3月だったかな??

サンディマス大学のローガン教授の研究グループによって、「鼻をほじる」という行為に脳の働きを著しく活性化する効果があることが立証された。鼻をほじる事で鼻腔からの酸素吸入を最大限にするだけでなく、鼻腔にある神経を刺激することで、思考中に低減した脳細胞の働きを活発化させることが解った。

生徒50人を対象にした調査では、研究用のテストで鼻をほじった生徒のほうが、鼻をほじらない生徒に比べて平均で13点ポイントが高くなった。

また、鼻をほじった後に採取されるいわゆる「鼻クソ」を摂取することも、脳の働きを大いに助けることが判明した。また「鼻クソ」を口から踊り食いすることであの黄色い物体に含まれる適度な塩分が血液の流れを促進し、脳に新鮮な酸素を送る手助けになるという。同研究の臨床試験で鼻クソと同じ濃度の塩分を含んだ水と、鼻クソで同様に生徒に実験をしところ、塩水では血流に変化が見られなかったものの、鼻クソを口から摂取した方では明らかな好結果が出たという。

この結果に関してローガン教授は「塩水では結果がでなかったということは、鼻クソにはまだ解明できていないミネラル成分が含有されているということが分かった。そのミネラル成分の解明が今後の課題だ。鼻をほじるという行為だけでなく、鼻クソの科学的立証もできて大いに満足している」と答えた。ってんなこと答えるなよ!格好良すぎやしませんか!教授〜!!!
アドヴァンスド
先々週末の9日、10日、11日のソナー(公式パンフ作ってました〜)も終了し、自分の時間を楽しんでます。ひさびさ本もゆっくり読めて今夜で開高健「風に訊け」も読破です。

ソナーには本当に感動しました。来年のパンフはより良いもの作るためにも、勉強しないといかんです。また改めてレビューしますが、アクフェン、シュナイダーTM、オピエイト、レイ ハラカミ、ハンノ ヨシヒロ、ヒューマン・オーディオ・スポンジが特にすばらしかったですね。どのアーティストも音楽性が高くて正直予想以上。あんなに何を聞いても外れのないフェスには驚きでした。

それで、今日は『ヒーリングプログラム スターライトヒーリング 「月光浴 Moonlight Blue 〜石川賢治の世界〜」』に行ってきました。プラネタリウムの中でスピリチュアルサウンドに合わせて、スライドショー!って簡単なものの様に思えますが、これがすごく前進的(アドヴァンスド)な試みでした。さすが、革新的な写真家である石川賢治さんである。

プラネタリウムという特質な空間、さまざまな時間や場所の、星空や宇宙の光景を再現するシミュレーターが作り出すアート空間。暗闇の部屋、ドーム型のスクリーン、背もたれの深い椅子、睡眠自由、ここには「小宇宙」が存在しました。スクリーンには普通通りに星が映し出され、上に優しく重ね「月光浴写真」(満月の光だけで撮影された写真)がスライドされていく。新しい写真表現の可能性、いやむしろ、写真を題材にした空間アート、環境アートが提示されてました。55分間、頭は透明化され、なぜか手足には感覚がありませんでした。彼の写真のスピリチュアルな世界が上手に空間と一致して、味わったことのない環境を作り出してました。行かなきゃ、損ですよ、ほんとに!!!

ソナーでも同じような新感覚を何度か体験しました。そのひとつにガーデン広場で、夕方ぐらいに行われた。坂本龍一と小山田圭吾のプレイ。広場自体は。ここのみフリースペースだったので、買い物帰りの親子ずれも多く、子供たちはその空間で遊んでいた。彼の音楽は多少小さめ、それは子供のはしゃぐ声とリンクさせたかったから。もちろん、これは「生意気」が空間プロデュースする時からコンセプトにあった。この一種変わった空間アートはおもしろかった。

プラネタリウムって場所は大きな可能性を秘めてますね。レイ ハラカミさんとかの美しい世界感もばっちり表現できるんじゃないかと思いますね。坂本さんとか好きそうだし。DJがラップトップ(ノートPC)を使用した次世代音楽を提供。それにVJがドーム型のスクリーンを使って映像を流す。オーディエンスは座って聞く。 もちろん、寝ても良し。

アーティストのモノ作りの概念は不変的なものですが、時代の流れで「表現方法」はつねに変化していますね。印画紙、キャンパス、原稿用紙といった枠を取り払うことで新しい世界が自由に作り出せる楽しさ、「四角い、枠の外まで描けない人間には、所詮、枠の中すら描けないだろう」を今日は再度実感しましたね。いや〜それにしても「癒された」な〜。
たまり場(三茶編)
週末、携帯の電話帳を上下に辿り、友達を探す夜。

携帯電話の普及によって、ライフスタイルは大きく変動した。予定は常に未定であり、約束は秒単位で、分単位で物事、時間、場所が変っていく。思春期の恋愛の登竜門のひとつ、恋人の自宅に電話、向こうの親との短いコミニュケーション、あのうぶな緊張感は無くなった。あの頃は深い時間帯に電話をかけることさえタブー、夜な夜な寂しさを噛み締めるということが良くも悪くも存在した。ビジネスの面でも自宅に電話をすること(休日なら特に)は失礼ってノリで、電話番号の交換というものも親愛価値は今より大きかったはずである。

って、冒頭から何が言いたいかというと、なんでしょう??まあまあ、そう焦らずに。週末の夜に仕事、バイトが終わり、例え誰かと約束をしていたとしてもそれは仮決めでしかない。どこに行けば友達はいるんだ??ってことになるわけです。なんだか家で大人しくしてるわけでもないだろうし、んで、そもそも家に電話引いてる若者は以外に少ないよ、ってことで。じゃあ、携帯かけてみるかって。また、そこに戻るわけです。あ〜携帯命だなって。

携帯電話ありきの生活からたまには逃避したい。

それを解消する方法のひとつとしては、行き着けの場、たまり場、特定の遊び場を持つ事がある。一例ですが。要は遊びにいくぞ〜って思った時に(友達に、あいつに、おもしろい奴に会いたい!)携帯なくともそれが実現できる!!って場所がほしいですよね。やはり、それには自分にも、みんなにも特定の遊び場が必要なんですよ〜!今ほど携帯が普及していなかった70年代、80年代にはそういう場所がたくさんあった。「ツバキハウスいけば、」「モンクベリーズいけば、」「ゴールドいけば、」みたいな。あそこ行けば、あいつらいる。っていうのが存在した。では、90年代抜けて、00年の今は、どこだって、話になるとソーシャル・ネット・ワーキングっていうのかな??自分で好きなコミュニティをPCで見つける時代。なんだかそれもおもしろいっすけどね。

じゃあ、携帯いらなくても、PC必要なんだって言われたら・・・固い事言わなくていいじゃん!利用できるもの利用しないと!
言葉からのプロセス
日々の生活が「言葉」の存在価値を定義する。逆に「言葉」の力が日常を豊かにし、また貧しくもする。「死ぬなんて言葉をそう簡単につかうなよーーーー!!!」by金八先生の真意はいかに??

昨夜、なにげなくJR新宿駅のホームで電車を待っていると、透明のゴミ箱は目に入ってきた。テロ対策だかなんだか知らないが、駅によってはゴミ箱を使用禁止にしている所は多数ある。特に地方の行けば行く程そういった傾向が見られたような気がする。随分前から都内の駅では利用者の反発もあり、ゴミ箱は息を吹き返していたようだが、テロの心配はつねに問題とされていたようだ。そこで、海外のように「透明のゴミ箱」を使っては??って話はあったが、見た目が悪いと採用されるには時間がかかったようである。確かにモノによっては見る人に不快感を与えるかもしれない。

まあこれでホームレスのおじさんたちは無駄に「生命BOX」a.k.a「ゴミ箱」に無駄に手を突っ込むことなく食べ物や読み物を手に入れることができるだろう。逆に、手を入れる際に生まれる期待感は一切無くなりはするのだろう。

また、僕らはゴミ箱に爆弾が入っていればすぐに分かるし(いったい誰が恐怖感をもっていたのだろうか??)そう簡単に飲みかけの缶コーヒーを捨てれなくなり、モノを捨てる際に回りを多少意識するだろう。とうとう日本でも「ゴミ」ってものにプライバシーはなくなったわけだ。

「ゴミ」という言語は「汚い」「不要」などの意味が主流だが、ぼくらの心のどこかには「人には見られたくないもの」っていう意味が隠れているように思う。誰にも見られたくないからゴミ箱へ、もうこれは定義になっている気がする。捨てれば秘密になる。「ゴミをあさる」=「プライバシーの侵害」って感覚はあるはずだ。でもとうとう公共のゴミ箱からプライバシーは無くなりました。アメリカみたいに有名人のゴミ写真集もでるんでしょうかね?そんな日が来るのもそう遠くないですね。(過剰反応しすぎかな??)

とにもかくにも、こういった生活環境の変化が「ゴミ」って言語の認識を少しずつ変えていく。「ゴミ」は人に見られていいモノ。人に見られたくなければ、ゴミ箱に捨てるな。こういう存在観となるだろう。こうして日々の生活の変化が言語というモノにも影響を及ぼす。

プロセスを変えてみれば、言語が人の生活を変えていく。「楽しい」「うれしい」「幸せ」そういった言葉を無理でも生活の中に溢れさせれば、単純だがぼくらの生活は豊かになってしまう。これは間違いないですね。

だからこそ、ってことですよね?金八っあん??
ジャパニーズサンバ
20世紀初め、リオ・デ・ジャネイロの街の一角に、前世紀に起こった反乱から逃げて来た者、奴隷解放により自由を得た黒人たちによる集落が出来ていた。彼らは祖先から受継いだアフリカの文化習慣を持ち込み、最初の「サンバ」と呼ばれるような曲を生み出した。
サンバは、カーニヴァルを通じて広く浸透していったが、長年に渡って中産階級以上の一般社会に知られる事はなかった。 サンビスタたちが黒人を中心にした低所得者層の集団でしか過ぎなかったからだ。
サンバが見直される様になるのは、60年代に入ってからで、ボサノバ・ブームの後を受け、1970年代になると、「サンバの黄金期」を迎え、世界中に広がって行った。

ってサンバの歴史はこれぐらいで、ですね、サンバ!

今夜から3夜連続で、ジャパニーズサンパこと「高円寺阿波踊り」が開催されます。何と言ってもいまや多くのクラバーに「日本一の野外フェスは??」ってQAを投げたなら、8割が「高円寺阿波踊り」って答えるとか答えないとか。それぐらいアゲアゲなんです。華やかなんです。BPM早いんだからもう!ダンサーの後ろにいる太鼓部隊なんかが観客のぼくらをどんどん飛ばしてくれるんです、サンバ。

だけど、一番ぼくらアゲてくれるのはやっぱり「踊り子」ですね。だって、彼ら、彼女らは本気なんですもん。もちろん、名物おじさんみたいなのは格が違うし、中学高校ぐらいの女の子なんかはもう部活感覚でマジなんです。ひとつひとつの動きに魂込めてんです。嫉妬するぐらいカッコイイんです、サンバ。

ぜひ、御覧有れ!!!(殴り書きですみません)

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