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日芸ブログ。すでに卒業したので、終わり。誤字脱字ばかりのブログだしね。
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山手線終電マジック
JR山手線終電「池袋行き」、原宿駅停車直後、乗車した男性は縦ジマのトランクスにYシャツ、足下は靴下。なぜか、ズボンを肩にかけ、酔ってはいるものの堂々とはしている。そう彼は今の自分の状況をまったく把握できていない。車両は一時的に静止するものの、次の瞬間には時間は淡々と流れる。そんな”公共の場”が持つ独特の空気を感じ取ったのだろうか、酔っている自分に後ろめたそうにおもむろに肩にかかったジャケットを着ようと、じゃなくて、スボンを着ようとした。(いや〜どうも今日は酔い過ぎたわな〜。さあ、上着でも着て、ビシっとするか、あれ、おかしいな、上手く着れないな、片手は通ったけど、んん、どうももう一方の手が上手く入らないな〜クソ、みんなが見てるじゃないか、こういう時は一度落ち着いて、フゥー、あれ、んん、どうも着れないな)てな、具合。そこが公共の場で、社会的なルールと常識、人の目、という設定が加わっているから、その笑いはさらにパワーを増す。「jackass」をみればそれは一目瞭然。

「jackass」が元々『CKY』というプロスケーター、バム・マージェラらのバカ極まりないスケートビデオがきっかけでMTVから始まった、というのは有名な話だが、そもそもスケートビデオなんて公共の場との戦い、で成り立つもの。今出ているバムの新作DVD『ビバ・ラ・バム  ファースト・シーズン (VIVA LA BAM THE COMPLETE FIRST SEASON )』では、シリーズでもお馴染みのバムと両親のハードコア・ファミリードキュメント。家という”場”での親と子という関係の中で"究極の家庭内イタズラ"が繰り広げられる。jackass時代にもあったリビングをスケボーパークに改造し両親の目の前でリビングを破壊するイタズラをさらにパワーアップ、今回はリンビングだけでなく家中をパークにしプロライダーを何人も呼んでの大がかりなセット。庭にまでパークが及んでいた、イタズラを超えた現代アートの領域にも達している。

公共空間に作品を設置し、野外美術展やパブリックアートの先鞭をつけた展覧会のひとつである『ミュンスター彫刻プロジェクト』が始まったたのが1977年。1997年に初めて現代美術家の曽根裕さんが参加しているが、公共物などをモチーフにした作品、インスタレーションなどを多く発表。またウィーンを拠点に活動しているアーティスト集団「gelitin」にも多くの影響を与えている。彼らの作品家の中にジャットコースターピレネー山脈にどでかいウサギを20年間置き続ける、というような現代アートの流れを汲んだ作品を勢力的につくりつつ、ビリッジをしながら自分の小便を飲む、というような「jackass」的なぶっ飛んだインスタレーションも行っている。

「山手線終電マジック」、毎夜のようにゲロ伝言ゲーム、OLの掌底キャットファイトなどが行われているが、あの”イタズラ”もどんどん狂気を帯びてきている。
実は裏で、監修:石原慎太郎とかだったりすると東京は楽しくなるだろうに。

佐藤珠緒に騙される可能性
今年はなるべく日記ぽくしたいな〜と思っています。更新率も上げていきたい所です。ところで、昨日遅すぎる新年会を渋谷のとある居酒屋で決行。あまりの楽しさに酔いつぶれました。せっかく上司の奢りだったのに(多分そんな気がしたけど、真相はいかに)タクシー帰宅ですべてがパーでした。記憶もパー。これほどもったいないことが他にあろうか。

二日酔いに起こされたのは朝の8時。どんな体調でも早起きはいいものだ。なかなか良い奴だな、二日酔い君。コタツに入って「砂の女」を読んみる。いつの間にかワンピース(アーロンパーク陥落あたり)に変わっていた。涙腺が、、、これも二日酔い君の優しさかな。気持ち悪さはいっこうに抜けず、試しにご飯を食べてみたら、胃袋にヘビーパンチをくらう。そこで寝てみよう、ということに。昼寝。ここまで具合が悪いと気持ちよく休むことができる。最低限のやることをやれば。

起きて「砂の女」を再読。安部公房天才だな〜って独り言を言いながら気が付けばテレビを見ている。ヤバイ釘付けに。テレビの力は恐ろしい。見てるのか見てないのか。番組そっちのけで物思いに耽る。脳内に存在する普段開けない引き出しをいくつも開けてみる。感傷的になってテレビに再度注目すると、なんでもないCMとかにまた涙腺が、、、しつこいな二日酔い君。将来のこととかも考えてみる。突然、佐藤珠緒について考えてみる。「プンプンビーム」とかされたらなんだかんだ絶対だまされるな〜と確信する。これは二日酔いの性にはできないな、さすがに。男なんてそんなもんだろ〜な〜きっと。
ウォシュレット使えたら彼女できるかも!?
新年早々寒い日々が続いています。「あ〜鼻声が直らない」と僕は友人に愚痴る。「あっ、でも鼻声は鼻声でカッコイイかも」と間髪入れず再度発言すると、バカだね〜と彼がつっこみを入れた。「あっ、でもさ、鼻すするのってカッコイイよね??俺、鼻水出てないときでもたまにカッコつけてシュッって鼻すするもん」と突拍子のないことを言い始めたので、さすがに前の席に座る社員さんまで巻き込んで、そりゃおかしいだろ!!っていうことに。

ただ、一個人、一人前の男としてひとつやふたつこれはカッコイイという「オレ流しぐさ」は持っているもの。正月気分も抜けずに仕事そっちのけで討論が続いて行くと、どうも「オレ流しぐさ」はとっても男の勝負所で大事だなってことに気がつく。高校の時によくいた両手離しで、腕組みしながら自転車こいでるテニス部男子とかいたな〜。

さてここで、鼻水すする=カッコイイという九州出身慶応ボーイとの会話で僕は素晴らしい価値観に遭遇することになる。どうやら彼は大学に入ってから彼女らしい彼女がいないらしい。どう見てもそんなタイプには見えない彼にはきっとなにかしらの悩み、他人には曝け出せない闇が心のどこかにあるのだろう。誰だって心の底にはドロドロとした黒い塊が存在し、みんなそれを隠しながら生きている。僕は彼の心中を察し、話題を変えようと試みる。「だから、彼女を作れないのは、ウォシュレットができないのと同じだよ。ウォシュレットができるようになれば、彼女もできるよ」と友人。なるほど〜って、おい!でもなんて素敵な感覚なんだ。自分のもっとも大事な場所、別名「見えざる自分」である肛門。そこを清める作業をウォシュレットに託すという行為は、彼女を作るという他人に自分を曝け出す行為と瓜二つなわけだ。

物心ついたときから家にウォシュレットがあった僕には、人生一度もウォシュレットを利用できてない彼の考えは思いもつかなかったが、確かに同感できる純粋な思考。むしろ、ロマンチックな思考だ。これは「スカートめくり物語」に続く、「ウォシュレット物語」が書けるわな。でも、大好きな男性に思い切って告白して、「ウォシュレットできるようになったら君を好きになるよ」って真剣に言われてもどうなんでしょうね??って、やっぱりありえね〜よ〜。
おはよう、茨城


みなさん、明けましておめでとうございます。どうぞ、今年もよろしくお願い致します。

さてさて、正月休みを満喫してます。イバラキックスこと茨城県土浦市からお送りしています。ギネスも認めるキングオブ大仏である牛久の大仏さんと出会ったのはかれこれ十年前ぐらいでしょうか。小学校の頃、よく大仏を目指して自転車をこいだものです。「あそこにいけば何かある」という冒険心というよりは、「オレ大仏まで自転車で行ったんだぜ〜すごくない?」という下心からだったけど。正月限定で無料開放、夜は額から光線を出し、お洒落にライトアップ、年越しは花火も打ち上げられますから、もう地方カップルのメッカでしょうか。なんていうと怒られそうですが。最近、下妻物語のファーストシーンに登場して話題となった時の大仏ですが、それ自体が建物にもなっていて、かかとの所からどんどん人が出入りしてます。しかも、近くにはキャノンの工場、アジア街なるものがあるため出稼ぎ外国人がやたら多い。「あれ、ここはどこの国??」

ところで、茨城エンターテイメントシステムに乗っ取り、さあ遊びにいくぞ!と重たい尻を持ち上げると同時に車の存在は必須です。なにしろ、コンビニから何から車でいくわけですから。さらに選択肢はビリヤード、卓球、ボウリング、カラオケ、ダーツといったところでしょうか。もちろん、お酒が飲みたい場合は「代行」を利用。毎年のように変わらぬメンツで同じようなルーティーンで騒いでいるわけです。こんな事実がある中で下妻物語のワンシーンなんかでは「下妻のジャスコは東京のパルコ並みだっぺ、ジャスコでなんでも揃うっぺよ」(揃うっペヨン・ジュン)的な発言が出てきたようですし。ますます我がふるさとである茨城を「暴走族」と「田舎っぺ」のイメージと思う人々が増えたわけです。確かに価値観からライフスタイルから、ローカルルールが存在するわけでそんな違いが笑いのネタにされることも多々ありますけど、そういうネタが「ふるさと」には良いスパイスであり、時に小説作品や映画作品のネタにもされるわけですから、とても魅力的なものでもあるんでしょう。時に渋谷の109前で「あれ、ここはどこの国??」なんて茨城人がいたとしてもです。

では、今年もよろしくお願い致します。

部屋に貼っていたポスター
ポスターについて友人と語った。

小学校に入り、おこづかいをもらえるようになると欠かせないのが、雑誌の購入だろうか。少なくとも、大人の階段を上っていく何段目かにはそういう部類の段があるだろう。「ジャンプ」「マガジン」「ガンガン」(女の子では「りぼん」「マーガレット」「なかよし」かな??)などを買う子がいれば、僕はもっぱら「サッカーダイジェスト」「サッカーマガジン」などを買っていた。記事を読むというよりは、付録でついているポスター、または好きな選手の写真(切り抜き)が目当てだった。きっとこの頃ぐらいから自己のスタイルというものを意識しはじめる。自分で学校に着ていく洋服を選び、家ではひとり部屋、多くは兄弟との同部屋を与えられる頃だろう。

そこでだ!僕らは自分のヒーロー、アイドルなどのポスターで自分の空間である部屋を彩る。僕はもっぱら、元ドイツ代表、現ドイツ代表監督であるユルゲン・クリンスマンのポスター、切り抜きで壁が見えないくらい貼りまくったわけだ。そりゃもう無邪気に天井とかにまで。ただ長くは続かない。

そんなイノセンスの時期を通り越し、さらに大人の階段を上がっていくと。どうも高学年ぐらいの男子というものはアイドルというものに、羞恥心からか触れるのを拒むところがある。(かたや、女の子は低学年の頃から一種の羞恥心の殻を破っている)たとえ、自分が可愛いと思っていても口にだして、ましてや自分の部屋の壁にポスターを貼るなんて。。。しかし、大人へ近づき、そんなちっちゃい羞恥心を払いのけると、成長とともに壁のポスターも移り変わる。僕の部屋の壁での中でボールを追っていたクリンスマンガ気がつくと、ポケベルを持った広末涼子へと移行していた。当時の僕はというと、「俺、大人の男になったな!!」ってところだろうか。

しかしだ!アイドルなんてダサイ!!!と中学途中から、映画、ミュージシャンなどのオサレなポスターへ変化する。恋だの、愛だのがそうさせるのだろうか。oasisとトレスポのポスターだったかな。んで、意味も分かってないのにチェゲバラのポスターとか貼ってみたり。貼ってた時点で、このヒゲのおっさんだれだろう??程度。完全にビジュアル重視のからっぽカルチャースタイルを通り越すと、最終的に壁から一切のポスターがはがされる。

友人の中には壁に穴が開くからポスターは小さい頃から貼ったことがない、という人もいたが、壁のポスターとともに成長してきた気がするのは僕だけだろうか。
90年代のスターがふたたび
とんでもないことになりました〜。日本サッカーの先駆者であり、ミスターJリーグ、六本木の王様ことキング・カズが代表復帰するみたいっす!(要は、実質の代表引退試合みたいですね。ジーコの計らいみたいっす)まあ世の中には「カズ嫌い」がけっこう多いようですが、私にとって三浦知良はカリスマです。彼の全盛期と言えば80年代後期から90年代後期辺りでしょう。

バブル後の10年、経済では「失われた10年間」などと言われ、カルチャーでは、「完成の10年」などとも言えますかね。80年代で新しいカルチャーが生まれ、それが成熟した時代。しかし、それは幻想に過ぎなかった、として最近では、再度80年代を見直し、一から作り直そうという動きがあるようですが。世紀末の荒波にもまれた90年代では何も生まれなかった、などと酷評の時代ではありますね。

マンガ、アニメ、ゲーム、オタク、クィア、コギャル、いわゆるポップ・カルチャーが花開いた時代が90年代。しかし、どれも80年代の延長でしかなった。と、はっきり言われるとなんですが、この時代にも多くの独自の文化はありました。ITによるグラフィック、携帯、2ちゃんねる、インターネットなど。人物で言えば、「キング・カズ」と「コムロ」でしょうかね。ここで、小室哲哉もすごかったけど、やっぱりカズに戻るわけです。CMもたくさん出てました。日本を代表するスターでした。90年代のダンスって言えば、ジュリアナなどの「ボディコンお立ち台のダンス」か、「カズダンス」でした。

90年代は世界的にサッカーが大きく成長した時代でもあり、ルール変更が多数あり、ボランチ、サイド・ハーフ、オフェンシブ・ハーフ、3バックなどシステムも大きく変わりました。リベロやセンターフォワードが懐かしいですね。

四年ぶりの代表復帰。シンガポール戦絶対見たいっすね!!!
本当に高級寿司屋でオンナを口説けるのか。
戦後の日本経済の成長には欠かかせない接待の場として挙げられる高級寿司屋。男性のステイタスを見せ付ける場として上司と部下、男女間で利用されてきたわけだ。頑固な主と交わされる寿司のうんちく、常連にしか出されないと特別料理、カウンターに座る彼女は彼を男として見直してしまう。ただ、こんな男がイバれる状況もギリギリだろう。

確かに情報化社会に生きる現代の女性の知識は時に男に勝る。テレビでは、「うんちく王」などが名を馳せている時代。彼がネタについて主と熱く語っていると、自然に彼女もその会話に入ってくる。そんな場面も多々見られるだろう。

しかし、こんなものはまだ序の口である。情報化社会がつくり出した新たな世代、「動物化するポストモダン」世代の女性はさらに手強い。この世代は、1990年代に10代を迎えた若い世代にとりわけ強いと言われ、複雑な人間関係や社会関係はなく、身体的な欲求を即座に求める傾向を示している。コンビニと携帯電話とインターネットがお友達となっている現在の社会環境で育ち、無数の異なった価値観がひしめいているわけだ。人と人が理念や象徴では繋がることがなく、携帯メールのコミュニケーションにより、実在の人間とリスクなく出会い、さらに繋がっているという実感を確保する世代。

はたして、彼女らは男のステイタスというものに、憧れを抱いてくれるのだろうか。高級寿司屋ののれんをくぐると、目に見えない圧迫感が彼女たちに押し寄せる。そもそも高級寿司屋にある一種の女性禁制という男性の身勝手なルール自体彼女らは受け入れない。さらに、常連さんならではの主との会話、裏メニュー、こういった人間関係の奥深さ、向上心にはまったく興味を示さないのが、「動物化するポストモダン」世代の女性である。

この世代の会話として特徴的なものは、あまりの多様化に情報の内容そのものは共有せず、ただ、情報の回路だけが共有されているという状況である。「なにかを知っている」という価値は無くなりつつあり、同じ音楽ジャンルが好きというだけで仲良くなれた時代は終わりを迎えようとしている。

さてこのような状況の中で、彼女らを喜ばせることができるのはただひとつ、ネタのうまさでしかない。「美味しいお店を知ってる男性」にまで成り下がるしかないわけだ。さらには、動物化する世代に複雑な人間関係が行き交うこの場は不快極まりないだろう。もうオンナを口説くところではない。

しかし、世の男性諸君、諦めてはいけない。確かに高級寿司屋でオンナが落ちるという方程式は崩れ去ったが、ものは使い用である。寿司自体がグローバル化し、回転寿司、クラブ寿司、お届け寿司など寿司屋すら「動物化」し、身体的快楽の中で食を楽しむ時代。高級寿司の使い道としては「放置プレイ」の場で食す、これしかないだろう。

女性が除外され、常連同士の会話にも入れない状況下で、絶品の寿司を食べる。そんな一風変わったアトラクションを提示することにより、Mっ毛のあるオンナは口説ける可能性があるだろう。そもそも、男と女でものを計るのではなく、SとMでものを計らなければならない。

今後、僕らはリアリティを追求したアトラクションを女性に提示することによって、女性の恋心をつかむ他ないのである。高級寿司屋もそんなもののひとつとなるかもしれない。

風景
旅に欠かせないモノのひとつとして「写真」というものがある。その旅を振り返る手段としては確かに申し分ないものである。ただ、私は旅で写真はほとんど撮らない。もし撮っても現像止まりで、プリントまでは辿り着かない。細かく理由をあげれば、カメラを持つのが面倒だとか、フィルム交換もめんどくさいだとか、なんだかんだお金もかかる、などと切りがない。

旅にはペンと紙があれば十分だ、な〜んて言ってしまうと随分と気取ってるように聞こえるだろうが、そうでもない。旅のひとときを写真で振り返る人もいれば、その刹那を文章で振り返る人もいるっていう単純なもの。

最近nobodyというおもしろい雑誌と出会った。その中のインタビューページに写真家の畠山直哉氏が特集されていた。その中に、こんな言葉を発見した。「風景とは虹のようなものだ」畠山氏はこう語っていた。

つまり、虹とは雲のようにそこに実在するものとは違い、その人が見ることによってはじめて現れてくるもの。何百mか場所が違えばそこに「虹」は存在しなかったりする。「風景」も山や海そのものではなく、人がそこに見出すものと言える。まあそんなに詳しくは書かないが、このインタビューで彼は随分素敵なこと語っている。

旅の話から随分と脱線したが、日常にもその「虹」って奴がありふれてるということを忘れてはならない。幸せなら幸せなりに、不幸なら不幸なりに、忙しいなら、暇なら、各個人によって見え方の違う「虹」だが、自分の発見した「虹」はできるだけ書き残していきたいと思っている。
スポーツは快楽主義か?
北島の「気持ちいい〜」と男子 200mバタフライ銀の山本の「きもち〜」とで分かるようにスポーツは気持ちいいんです。

確かに世界の頂点に立てば、優越感にひたれるでしょう。また、天気のいい日に公園で走り回る時の「気持ちいいな〜」とさわやかな気分にもなれます。でも違います。北島や山本の口からレース後に自然とでた「気持ちいい」には快楽的な要素が多く含まれていたように思います。

これがレースから一日、一週間後の言葉であったら、もちろん優越感の要素が強いとは思いますけど、ゲーム直後のあの興奮は「快楽」ってやつなんです。ゲームにはかならず流れというものがあって、それを自分のものに出来たときにそこに快楽が生まれるわけです。1から10までがゲームだとすると、すべて自分のものに出来た時に「気持ちいい」という説明しがたい快感が生まれるわけです。そして、そのゲームを体験、経験できる事自体も「気持ちいい」んです。だからこそ、銀メダルの山本も「きもち〜」のです。みんなその快楽を求めて、練習し、努力し、より快楽性の高いゲームにしようとするわけです。

この快楽は確かにお酒やドラッグ、とは多少異なることは否めません。でもナチュラルきもひ〜んです。アドレナリンが溢れまくってるんです。言い過ぎるなら、もうセックスなんです、そんときの汗は「汁」なんです。もう吹いてるんです。

極上の「セックス」を体感できて、鑑賞できるのがオリンピックっていうわけです。恐怖や不安、苦悩を乗り越えてエクスタシーに達するのが、オリンピックなんです。(すみません)


ユニホーム着ればいい
青春時代、私はもっと必死だった。やれることはほとんどやった。手だって抜かったし、要領だって分からなかった。だから、ただ目標やライバル、自分に負けたくない一心で練習したし、努力した。でも、今の自分はどうだろうか。あの頃ほど、今の自分は必死で何かに取り組んでいるだろうか。眼の輝きは失っていないだろうか。今の自分にあの頃と同じ努力がはたしてできるだろうか。

な〜んて想いに同感できる人ってけっこういると思います。なにかに打ち込んでいた経験やある程度の運動の経験、受験勉強を通ってきた人であればだいたいの人が。と、ここでマイナスな感情をみなに抱かせようとしているわけではありませんよ。過去の栄光にすがる訳ではなくて過去の自分と勝負できるっていうのはなかなか良いものですし、励みになる人もけっこういるんじゃないですかね。過去にこだわり過ぎるのもよくはないですから注意したいものですが。

ところで、この夏一番の悩みと言えばこの暑さですが、私の部屋にはクーラーがありません。って「キャー悲惨〜」なんて思わなくても居間のクーラーをつけて扉さえ閉めなければ全然涼しいですよ。扇風機で風を送ればさらに涼しいですし。兄弟三人暮らしはお金がないんでしょうがないです。でも暑さにはそろそろ限界なはずです。

って、おい!暑さに限界だなんて過去の私は、真夏でも毎日ボールを蹴っていた私にはなかったはずだ。もうこうなったら、ってことでユニホームに着替えてみました。サッカーのユニホームに。そうすると、いくら汗かいても全然集中できるんですこれが。どんなに汗かいても自然ですし、いっそ気持ちいいもんです。私はPCの前で過去の栄光の象徴であるユニホームに袖を通し、過去の自分を超えたわけです。努力してるわけです。

と、前置きが長過ぎましたが、こんなすばらしい経験を社内にもいかそうと試みた社長が過去にいたみたいです。どうもそれがいわゆる「コスプレ」のルーツみたいで、社長の軽卒な一言が招いた事故みたいなものがはじまりのようです。

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